ボゴタで再び雑貨屋について考える

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はるか昔、学生時代バイト先のファミリーレストランの店長が言ったことでいまでも印象に残っている一言があります。「日本という国で特殊なのは、日常生活でモノを買う際に、誰とも話すことなくすべてを済ますことができるということだ」。考えてみると英語圏ではお店に入ったとき、店員からHello と声をかけられれば客の側もHelloと答える。ラテンアメリカではBueno(a)s días (tardes/noches)に対して同じ言葉で挨拶を返せばいい。ところが、日本の「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」には対になるものがない。答えようがないから客は黙ったまま店に入り、黙々とほしいものを手にとったり戻したりして、店員の「ありがとうございました」という言葉を背中で聞きながら店を出る。京都や大阪に長く住んだ個人的な経験から言えば、関西の場合は客の側もごく自然に「ありがとう」と言ったりして東京などよりも「会話」の可能性は高いかなと思うのですが、それはさておいて、コロンビアでは外国人の少ない地区で小さなお店に入ったりすると「出身はどこ?」とか聞かれたりして話が長くなったり、店主が客と話しこんでいるところへさらに2-3人が会計や用事を待っていたりして、日本のコンビニのゆうに3-4倍くらいの時間がかかったりします。会話をすること自体はとても気分がいいのですが、買いたいものを迅速に手にいれるという観点からは効率的とは言えません。さいきん、この以前からずっと考えていたテーマを再考させるようなできごとがありました。

2ヶ月ほど前、ボゴタの旧市街(セントロ)にあるEl Parche Artist Residency というオルタナティブスペースで美術展を開いたとき、そこで地元のアーティストMaría Lucía Arbelaez Pérezさんと話す機会がありました。María Lucíaさんは、近年急速に展開するEXITO ExpressやOXXO、D1といったコンビニやディスカウントストアのチェーンが、庶民的なエリアにある小さな商店やカフェの「顔の見える」経済を駆逐しつつあるという状況に対抗するアートプロジェクト”Yo mejor le compro al veci”を進めています。そのプロジェクトの一環として「わたしはお隣さんのお店で買います」という文句の入ったポスターやチラシを町のいろんな場所で配布しているとのことでした。「顔の見える」経済とはたぶん、物や現金の交換がそのまま知人や隣人との会話であったり、人間関係を強化する機会となっているようなイメージでしょうか。いぜん別のブログ記事でも書いたことですが、コロンビアの村や大都市の庶民地区にある商店やパン屋さんにはたいていテーブルや椅子が置いてあり、即興の社交場になっています。ふだん急いで通り抜けるだけの道の随所にこの手の場所があることはそれ自体とても豊かなことだと思います。彼女の危機感が小さな「隣人の」お店が経済的に立ち行かなくなることに向けられているのか、それとも雑貨屋というひとつの文化の消滅が問題視されているのか、たぶん両方だと思うのですが、私も個人経営のビジネスやカフェがひしめくボゴタの庶民的な「バリオ」(街区)のディープな雰囲気には日々興味をそそられていて、「お隣さん」のお店は末永く存続して欲しいと強く願います。いや、もし存続の危機が本当に差し迫ったものであるならば、私も積極的にそうしたお店に買いに行くでしょう。私の「好き」にはそのくらいの真剣さはあります。

ところで、今更ですが、なぜチェーンのスーパーやディスカウントショップが増えているのでしょうか。あくまで個人的な考察ですが「物を買う」ことには個人的な必要性や欲求を満たすという側面があり、「迅速性」や「快適さ」を優先する環境に慣れてしまうと、それにとって障害となる状況とはできるだけ距離をおく意識が身についてしまうような気がします。つまり、友人など特定の人意外とは会話せず黙々と一日を過ごすという大都市の生活スタイルになれてしまうと、「隣人」の店に行ってわざわざ自分の欲しいものを一つ一つ説明したり-たとえばいろんなブランドの歯磨き粉の-値段を聞いて比べたりする作業がなんとなく面倒に感じてしまうわけです。スペイン語を母語としない人間がスペイン語でこれらすべてをやらねばならないという個人的な事情と関連するのでしょうか。たぶんそれも多少はあります。しかしそれ以上に大きいと思われるのは自分の骨の髄まで染みこんでしまっている「快適さ」を優先する感覚です。ボゴタの「お隣さん」のお店が好きだ言うコメントと矛盾してしまうのですが、東京のコンビニ文化で育った人間が、周辺にD1やCarullaといったスーパーがひととおり揃っているとう環境に住むと、日用品や食材を買うとき、どうしてもこれらのお店に足が向いてしまいます。ガラス張りの店舗に入って欲しいものを自分のペースで探し、誰とも長々と話すことなく一瞬で会計を済ませ、食欲や生活の必要を満たす。たしかにすこし孤独な感じはありますが、非常にラクです。つまるところ、こういう感覚を人は「便利」(東浩紀的には動物化?)と呼ぶのかもしれません。ところでディスカウントショップのD1では社員にマニュアル教育が実施されている模様で、店に入ると ”Bienvenido al D1!” (D1へようこそ)と店員が復唱します。それに対しては幸いなことにGracias (ありがとう)と返答できますし、日本のBOOK OFFのようにあからさまな体育会系のノリではありません。でも、どこか日本のコンビニを思い出させる対応のしかたではあります。

Yo mejor le compro al veciはプロジェクトとしてとても興味深いですし、商店=カフェ/社会関係を強化する場所というカルチャーは、未来永劫続いて欲しいと願います。そしてMaría Lucíaさんのプロジェクトを私のような人間が応援するためには、まず匿名的な都市型の生活をラクだととらえる日常の感覚を見直すことから始めるのが得策なのかもしれません。正直に言えば現段階では見直す必要はそれほど強く感じていないのですが、危機感があれば話は別でしょう。そういうわけで、欲を言えばこのプロジェクトでは、ボゴタの庶民地区にある小さな商店兼カフェがどのくらい深刻な勢いで減っているのか、また隣人のあいだの地に根付いた経済が現実問題として衰退していると言えるのか、具体的なデータを示して欲しいと考えます。緊迫感があれば人は動きます。私も似たようなプロジェクトを立ち上げようという気になるかもしれません。

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